五島聡直伝「法人保険営業バイブル」

伝説の法人保険営業マン五島聡が直伝! MDRT入賞など優績者になるための情報やアドバイを発信するサイトです。仕事の仕方を変えて、本質的成功を収め、尊敬される法人保険営業マンになる思考と技術を明かします。

2016年01月

法人保険営業マンの成功支援

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 2016年1月は「成功支援」というテーマで戦略法人保険営業塾(ライブシー=live SHE)を開きました。

 4つの顧客分類、覚えていますか。
(1)貸借対照表も損益計算書も良い
(2)貸借対照表は悪いが損益計算書は良い
(3)貸借対照表は良いが損益計算書は悪い
(4)貸借対照表も損益計算書も悪い
 この4つでしたね。

 経営者に確認すべきことは、それぞれ異なることを頭に刻んでください。

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 ケーススタディを2つお話ししました。現状把握のための質問や顧客が抱える本当の問題の見つけ方、解決策、そこからの保険提案まで具体例で説明しました。

 私たち法人保険営業マンの唯一の成功法則は「顧客の問題解決を自らの仕事とすること」です。そのためには自説持論を持っていなければなりません。顧客の言いなりになっていては問題解決ができないことがあるのです。と同時に、解決策が生命保険の活用につながりうるものであるべきでしょう。

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 私たち法人保険営業マンの成功は顧客の成功の延長線上にあります。顧客の成功のために学ぶことは自分の成功につながる道なのです。

 一生懸命に勉強してください。前向きで誠実な顧客と向き合うためには、法人保険営業マンが前向きで誠実で一生懸命に勉強を重ねている人間でなければなりません。そんな法人保険営業マンの成功支援が戦略法人保険営業塾の目的なのです。

 戦略法人保険営業塾の詳細はこちら → 法人保険営業マン向けセミナー「戦略法人保険営業塾」

法人保険営業マンのための見込客発見法

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 沖野教室シーズン2の第3回は「異業種交流会での基本スキル」です。

 異業種交流会に参加して片っ端から名刺交換をしても実はほとんど役に立ちません。なぜなら「私のビジネスの話を聞いてくれ」や「私の商品を買ってくれ」という、いわゆるクレクレ星人がほとんどだからです。

 しかし、中にはいい人がいます。そのいい人をどう見つけるか。沖野さんは経験を踏まえて、いい人を見つけるための質問の仕方や会での振る舞い方、会話の仕方、話をすべき相手などを具体的に教えてくれました。

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 その上で「エレベーター・ピッチ」を構築することの重要性や表現するポイント、作成のコツまで具体的に教えてくれました。偶然にもNHKラジオ『実践ビジネス英語』講座の12月は「The Elevator Pitch」というテーマでした。このラジオ講座を聴いている会員は「おお! エレベーター・ピッチだ」と喜んでいました。

 さっそく自分のエレベーター・ピッチを作ろうと決めた会員が少なくなかったようです。法人保険営業マンは備えあれば憂いなしなのです。

法人保険営業マンが学ぶ財務の決定版セミナー始まる

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 日本BCP協会は「中小企業を元気にし、日本を元気にし、人を幸せにする」という理念と「3万社の潰れない自己資本経営に貢献する」というビジョンを掲げ、この理念とビジョンに共鳴する会員に学びの場を提供しています。その認定インストラクター養成講座の第4期がいよいよ始まりました。

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 講師は、未来会計を指導できる第一人者の山田英和税理士です。第4期初日は、会計事務所の現実や貸借対照表と損益計算書の関係、年計グラフの役割と作成方法、未来会計図表の個人版と法人版の作成方法などについて、基本的な知識を教えてもらいました。ちなみに個人版の未来会計図表は世に出ていません。しかし、複雑化する法人版を学ぶ前にシンプルな個人版で学ぶことで、未来会計の全体像や仕組みをスムーズに頭に入れることができるようになります。山田先生の指導の賜物です。

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 さて、休憩時間に某社の伊藤巧エグゼから思いがけないプレゼントをいただきました。私の誕生日に合わせてバームクーヘンを持ってきてくれたのです。これからも年輪を重ねますように(長生きしますように)という意味でバームクーヘンなのだそうです。伊藤エグゼらしい気づかいです。

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 さっそく切って、みなさんにおすそ分けしました。

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 頭が熱を帯びる4時間を過ごしたあと、名刺交換をしたり、情報交換をしたり、私に質問を持ってきたりする会員がいたりして、会場はにぎわいます。法人保険営業の優績者が集うセミナーだからこそ、横の情報網は重要です。ここで知り合った会員同士がコラボしたり相談しあったりして、より優れた法人保険営業マンに成長していきます。セミナーで学ぶ時間は重要ですが、こうした会員同士の交流も非常に重要なのです。

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日本経済新聞に取り上げられた五島の仕事の現場

13 本社にて

 写真真ん中が経営者。手にしているのは1月8日付『日本経済新聞」朝刊の経済面です。

外資系保険営業マンJさん(50歳)の証言(連載第7回)――財務貢献を“武器”にしたセールストーク

 保険業界に入ってから3年目以降は毎年のお盆休みのころに家族旅行をしていました。私の家族5人に私の両親、妻の両親の総勢9人です。10日ほどの期間を1カ所でゆっくり過ごします。これまでにイタリアやスペイン、フランス、ハワイなどで家族孝行をしてきました。このほか、お正月のお年賀やお中元、お歳暮、誕生日、父の日、母の日のたびに両方の両親にお金、お祝いを渡してきました。独りよがりかもしれませんが入社以降、経済的には妻に肩身の狭い思いをさせたことはないと思います。私の両親の金婚式の時は食事を一緒にとって「何かに使って」と50万円を渡しました。今年は妻の両親の金婚式なので、妻と一緒に突然訪ねてお祝いをして同じ金額を置いてこようと計画しています。お年賀は両方の親に100万円を渡しています。

 金額の多寡には多言は不要ですが、こういうことは旭化成や三陽商会に勤めていたころはできませんでした。自分の遊びにお金を使うとお金の価値はありませんが、人のためにお金を使うと価値が出ます。

 仕事の「はたらく」という言葉は傍(はた)を楽(らく)にすると言われます。その言葉がやっと少しずつ出来てきたのかも知れません。

 振り返ると14年近く保険営業の世界にいます。これまで何のテクニックもなく、実直に営業をしてきました。しかし、戦略法人保険営業塾の前後で営業の方法が大きく変わりました。会社で受ける研修は「売り方」ですが、戦略法人保険営業塾が教えてくれるのは「財務貢献」なのです。

 企業は従業員が増えたり、役員が入れ替わったり、株価が上がったりして成長していきますから、今と違うニーズが出てくるものです。これが個人保険営業との大きな違いです。財務貢献を通じて会社の成長発展に尽力すれば、あとで別のニーズも出てくるのです。

 今の私のセールストークはこんな感じです。「決算書を拝見して、修正して、それで銀行格付けが変わって、銀行と金利交渉して金利を下げて、ということを保険外務員に教わったことはありますか」「助成金で喜ぶ会社はありませんか」

 私が勤める会社は60歳定年ですが、1年更新で70歳まで働けます。60歳で辞めたらお客様を会社に放置してしまうことになります。規則でご契約を会社から持って代理店に出ることができないこともあり、私は70歳まで今の職場で現役を続け、お客様に継続貢献営業をしていきます。 


(おわり)

外資系保険営業マンJさん(50歳)の証言(連載第6回)――私のお客様に体育の先生が多い理由

 2期目は法人保険をしたい。しかし、やり方が分かりません。助成金のことを勉強し、紹介でお会いした方の大学の同級生を山口県まで訪ね、助成金の話をして、法人と個人の保険をいただきました。「こんな話が役に立ちそうな会社を紹介してください」と聞いてみたところ、隣町の同業者を紹介してくれました。翌日訪ね、翌々日にご契約をいただきました。

 こんな積み重ねでプルデンシャル生命の営業マンになって2年目はゴールド賞、3年目で収入は4000万円になりました。

 2期目、3期目の個人保険は陸上関係を当たっていきました。陸上競技の世界は縦の人間関係があります。私は高校時代の陸上部のOBとして幹事をしています。年に1回総会があり、若い世代から80代までが集まります。そこで「一度話そう」と声をかけてきました。

 当時、私のお客様に多いのが体育の先生です。体育の先生はふだん体育教官室にいます。そこには5~6人の先生がいますから、「同じ世代で結婚している先生を紹介して」と紹介を頼みます。体育分野の先生方は縦の関係がありますので、「あの先生の紹介なら断れない」となるのです。バスケ部の先生なら同じ地区のバスケの先生を紹介してもらうことができます。

 箱根駅伝を2年連続走った私の実績が体育系の世界で評価されたようにも感じます。分野は違っても、高い実績を出していれば分野を超えて尊敬し合うのが体育系の世界なのです。

 私はXYZで紹介営業をしてきましたが、この場合お客様から「何で理工学部出身なのに生命保険を」や「何で旭化成を辞めたの」などと聞かれることがよくありました。ところが、Z以降の人はこういう説明が不要になりました。私を知らない人ですから、そこまでの説明をしなくて済むのです。目の前が急に明るくなって視野が広がった感じがしました。

(つづく)

外資系保険営業マンJさん(50歳)の証言(連載第5回)――片っ端から保険契約を取ったあいつ

 ところが、1月から3月15日の締め切りまでの2カ月半で、AC400万円というご契約をいただくことができました。単価が上がったのです。社長杯という表彰制度になんとか滑り込むことができました。ディズニーランドが会場で、家族でホテルに宿泊し、レセプションに出るのが表彰者の通常でしたが、私はそんなものに関わっているヒマはありません。毎日通いでディズニーランドに行き、商談の合間に表彰式には顔を出して、賞状を自宅にいる妻子に見せただけです。

 この時のチャンピオンは、同僚から聞いたのですが元早稲田大学の同級生でした。知り合いではありません、同学年というだけです。しかし手数料ベースで私の5倍くらい売って、壇上でエラそうに話しています。何でこんなヤツが。これは頑張らなければいけない。

 彼は早稲田大のラグビー部にいたので、入社当時は体育会の名簿で片端から営業をかけ、競走部の同級生から上下2~3世代はほとんど全部と言っていいくらい保険契約を取っていました。

 そんな彼から私の上司経由でクレームが来ました。当時大学ラグビー部は強かったので私は彼が1軍メンバーとして試合に出たことがないと思うよ、という事実を何かの折に誰かに話したことがあるのですが、それが回り回って本人の耳に入ったらしく、「そういうことを言うな」というクレームでした。事実だからこそ彼には痛かったのかも知れません。

 話を戻します。

 私の1期目はブロンズ賞でした。2期目はもっと数字を上げたい。ドル建ての貯蓄性の高い商品も取り扱いできるようになり、ほかの保険も申し込んでもらえるようになり、数字が上がっていきました。しかし、「仕事の面白み」はだんだんなくなり、一生懸命ではありましたが「作業」のような仕事になっていきました。


(次回につづく)

外資系保険営業マンJさん(50歳)の証言(連載第4回)――崖っぷちの保険営業マン

 生命保険の営業は今までの仕事とは異質で、経験のないものでした。旭化成時代なら「キュプラはこういう特性なので……」と説明できました。三陽商会時代も商品は洋服という「もの」ですから、説明できました。しかし、保険は形がありません。話がうまい下手というレベルではなく、私自身に信用がないと難しいと考えました。

 

生命保険や営業マンに対する世の中の評価は高くありません。「営業マンがすぐに辞めてしまう」「いざとなったらお金が出ない」といったものです。入社して初めて知ったのですが、逆風が吹く業界なのでした。

 

 私と同月入社した積水ハウス出身の若い人が「元の職場の同僚が何人も生命保険に加入してくれることになっている」と言っていました。そんな人、私にはいません。そもそも生命保険業界に転職したことさえほとんど誰にも話していません。

 

 初任地の宮崎の旭化成まで往復6万円もかけて商談する経済的な余裕はありませんし、行ったところで「今さら何?」と相手にもされないでしょう。私が生保業界に転職することに反対していた親には「親戚を回るな」と釘を刺されていました。車も持っていませんし、当時の貯金額は30万円。商談用のノートパソコンを一括で購入するお金もありませんでした。

 

 私が回ることができるのはどこなのか。年賀状のやり取りをしている高校、大学時代の陸上関係の仲間なら行けるかもしれない。辞めてまだ2年しか経っていない三陽商会なら知り合いがいるのでまだ会いやすいかもしれない。「転職したので、保険証券を分析したい」というアプローチができる。そんなことを考えました。

 

 営業初月、被保険者数で25件のご契約をいただきました。そのうち5件が不成立になったので、20件です。2カ月目は12件(うち自分の家族が2件)で、7件の不成立が出ました。

 

 3カ月目は18件です。

 

 同じ釜の飯を食った三陽商会時代の仲間と陸上関係の紹介でつなげていきました。お客様は会社員や教師ですから、保険料は月額2万円くらいです。

 

 3カ月間で申し込み55件、不成立12件でしたから、43件の成立です。これでは切羽詰まった状態であることに何ら変わりはありません。

 

 1カ月に12件以上の契約を24カ月継続できたら賞をもらえるのですが、このままでは全く届きません。会社から求められてパソコンを買った時はボーナス払いにしました。入社が2002年9月ですが、ボーナス払いなら9月10月11月とお金を払わずに済みます。支払いを先延ばしできるのです。私の最初の3カ月は会社の規定で毎月固定で額面28万円くらいしか収入がなかったのです。

 

 みなさん経験しているようですが、名刺交換をしたことがある知り合いに片端から電話をかけて会い、「久しぶり」とあいさつを交わして「実は生命保険の」と切り出した途端に相手のトーンが落ち、悲哀を感じました。携帯代や交通費、コーヒー代などの支出は毎月6万円以内に抑えていました。

落ち込む余裕はありません。自分勝手な都合で三陽商会を辞めて、失敗して、反対を押し切って生命保険業界に入って、四面楚歌です。後ろを向いている余裕はありません。後ろは崖なのです。


(つづく)


外資系保険営業マンJさん(50歳)の証言(連載第3回)――850万円ほしい

ここで私の歩みに触れておきます。

 

 私は双子の兄です。1時間ほどだけ兄なのですが、双子ですから常に比較されます。勉強も部活動の陸上競技も正直、弟には負けられません。中学、高校と成績を張り出される学校でしたが、1時間でも遅く生まれた弟には負けられないのです。

 

 高校2年のころ左膝を痛め、陸上競技から遠ざかりました。早稲田大学理工学部2年になったころ、少しだけジョギングできるようになりました。そこで大学の陸上同好会に入りました。私と同じ陸上競技をしていた弟は同じ早稲田大学の商学部に入って、陸上同好会でのんびり過ごしていました。私は理工学部であったため文化系の学部のキャンパスとは異なり、週に何度も実験があり、授業数も多いため、同好会に籍だけ置いて、やむなく1人で練習を始めました。大学の2年では高校時代の記録に追いつくのがやっとでしたが、冬場に高い目標設定をし、必死に努力すると記録がぐんぐん伸びていき、3年時には陸上同好会の記録をいくつも更新していったのです。

 

 陸上競技で一番権威の高い試合の日本選手権に出たい。そう思いました。私の専門は

1500メートルです。名門の競走部なら1500メートル専門の練習や指導者がいるだろうと思い、入部しようと決めました。中村清監督が亡くなった翌年のことです。

 

 大学3年の7月、競走部に入部しようと部を訪問したのですが、1500メートルの中距離班の選手も指導者も今はいないと言われました。長距離班は箱根駅伝を目標にしています。

 

長距離斑でよければ練習生で仮入部させてあげると言われて入部しました。私は当時、箱根駅伝に出ることになるとは全く思っていませんでした。長距離の練習をすれば中距離の記録も上がるだろうし、インターカレッジなどでもかなり戦えるという計算です。

 

 私はキャンパスの中では大学3年生でしたが、競走部の中では1年生の扱いです。2~3年生には敬語を使わなければなりません。1年生からはタメ口でしゃべられます。仕方ない、そういうものだと思って、いろいろな感情を飲み込みました。今でもその付き合い方は変わりません。

 

 これまで勉強も陸上もコツコツと努力して伸ばしてきたという自負がありました。競走部でコツコツと練習を積み重ね、部に入って5カ月後の1988(昭和63)年の箱根駅伝では3区、89(昭和64)年は6区に出場しました。

 

 高校時代は5000メートルを走ったことがなく、ロードでの5キロメートルが16分51秒でした。大学時代で競走部に入る前が15分30秒、競走部に入って15分2秒(ただし当時競走部ではほとんど記録会には出ていない)、就職した旭化成では陸上部員ではなく一般社員で、研究職の仕事の傍ら一人で練習を重ねて14分15秒4という記録を出し、これは宗茂監督、猛助監督さんに高く評価されました。

 

 当時、宮崎県延岡市にある旭化成の工場でセルロース繊維の研究開発に携わっていました。しかし、工場の研究職ですと最終消費者が商品という「もの」を手にして喜んでいる姿が見えないのです。ビーカースケールで基礎研究がうまくいっても工場の既設の生産現場で効果がないと役に立ちませんし、製品を載せたトラックが出荷する場面にいても、糸を積んでいるだけでは喜びがないのです。それより、消費者から直接「今までと違うね」と言われるほうが私にはうれしいのです。

 

 こんな思いを抱いていたので、消費者に近いところで仕事がしたいと三陽商会に転職しました。6年ほど勤め、このあと4人でアパレルの会社を立ち上げました。出店資金を貯めるため役員報酬は当面ゼロです。ところが1期目が終わった時に決算書を見ようと思ったところ、社長はなぜか出してきません。おかしい。思ったとおりでした。大掃除をしている時に偶然見ることができたのですが、見た瞬間に暗然としました。東京・目黒の社長個人のマンションの家賃30万円を社宅扱いにして会社の経費で落としていたり、会社のお金で飲食していたり、そのうえ自分一人だけ毎月15万円の役員報酬を取っていたりしたことが分かったのです。資本金1000万円は応分の負担を私もしており、浪費を継続されると経営資源が減少するため、改めるよう社長に言いましたが、聞く耳を持ちません。私は彼を見限り、会社を辞めました。

 

その後は3カ月ほど日雇いのアルバイトをしながら次の就職先を探す事態に陥りました。当時私は37歳で、10歳と8歳、6歳と子供が3人いました。前職の三陽商会の年収850万円くらいはないと子供の教育費にお金を回せません。

 

 しかし37歳で中途入社して固定給850万円をもらえる仕事などありません。歩合制の仕事だけ可能性があるように思えました。住宅リフォームの会社を見つけて歩合制の営業職で内定をもらいました。が、社長にこう言われました。「あなたがうちに入社したら数字を上げることはできると思う。でも、ほかの社員と育ってきたキャリアが違うので、社内で全く話が合わないと思う。本当にここで働くかどうか自分自身で考えたほうがいい」。65歳までの28年間も話が合わない環境はつらいものがあります。内定を辞退しました。

 

 当時、某外資系生命保険会社の知り合いが2人いました。能力開発セミナーで知り合ったのです。そのころ私は生命保険に疑問を抱いていました。

 

父が60歳の時、脳内出血に襲われ東京・上野の地下道で倒れました。日本医科大学附属病院に1カ月入院し、その後自宅近くのリハビリ病院に転院して3カ月過ごしましたが、右半分にまひが残りました。

 

 父は器械体操の選手でした。高校時代に北海道のインターハイ予選で優勝したことがあり、インターハイや国体に出場したスポーツマンです。そんな父にまひが残り、歩くのも挨拶も大変です。あれほどのスポーツマンが家から出ようとしたがらなくなってしまいました。

 

父は三菱の冠のある上場企業に勤務していたためグループの明治生命の生命・入院保険に入っていたのですが、更新されないままで切れていたため、入院給付金などのお金は一切もらえませんでした。私は初めて生命保険の存在を意識しました。いや、意識というより疑問を抱いたというのが正確な表現です。そもそも生命保険って何、と。

 

 しかし私は危機に直面していました。待ったなしです。某外資系生命保険のライフプランナーに相談しました。

「入社するにはどうすればいいの」

 

 このライフプランナーを通じて採用担当の営業所長に会いました。営業所長は「平均所得は1600万円」と言っていました。紹介者は「1年間に80数件の契約をあげている」と誇らしげでしたから、それくらいの契約をいただけば平均所得くらいもらえるのでしょう。しかし私には無理だと思いました。一度、転職活動を辞退しました。

 

家族5人がつつましく暮らせればいい。そのためには850万円は稼がなければなりません。貯金は30万円。毎月7~8万円の住宅ローンがあります。この逼迫した状況を踏まえて、また採用担当の所長からも考え直すように諭され、さらに採否を支社長が迅速に判断し、入社を決めてくれました。

外資系保険営業マンJさん(50歳)の証言(連載第2回)――激変した法人保険営業のスタイル

 五島さんに出会うまでは決算書を見て商談をしたことなどありません。決算書を見せてくれと社長にお聞きしたこともありません。見せてくれるはずがない、私が社長に有益な話をして差し上げられないと思っていたからです。決算書を見ても、どんな流れで商談に組み込めばいいのか、商談としてどう組み立てるか、どう決算書を改善するのか、銀行格付けの言葉も中味も知らなかったのです。決算書を用いた財務改善の方法は今まで聞いたことのないものでした。同僚も知りません。

 

五島さんとの出会いは私のそれまでの法人保険営業のスタイルを激変させました。

 

「90日プロジェクト」に参加していた当時でも60社くらいとお付き合いがあり、決算書を預かれば格付けをよくする提案ができる状況でした。しかし、もっと学ぶことがあるはずだ、もっと体系化されたものを学びたいという思いがあり、戦略法人保険営業塾と日本BCP協会の認定インストラクター養成講座に入会しました。

 

 戦略法人保険営業塾で学んだことを自分なりに深めることで日々の商談に活かせます。五島さんに出会う前は「保険」の商談をしていました。それが今は保険の話でアポを取ることはありません。「決算が近いので試算表が出ていると思います。決算組みの作業をさせていただけませんか」と尋ねてアポを取っています。お預かりした決算書を修正して「これを顧問税理士にお伝えください」と言ってお返しします。そのあと決算書が直っているかどうか確かめます。

 

直っていたらひと安心です。社長に「銀行と金利交渉してきましょう。借入一覧表を見せてください」と依頼します。2.75の金利を1.2に下げたり、2.85や2.45の金利を1.8に下げたりしてきました。2.65くらいの金利だった会社の社長が「0.55で借りられるようになった。本当にありがとうございます」とお礼の連絡をくださったこともあります。

 

グループ会社に長期貸付金があり、回収不能なことが分かった会社には特損で落とすことを助言し、格付けを上げたのち銀行交渉を提案しました。その会社は大同生命の保険に入っていましたが、私から終身保険に入り直してくださいました。時には「助成金の話をしたいので、私のパワーパートナーをお連れします」と話して助成金の仕組みを話すこともあります。

 

 個人保険から法人保険に変えることでこのように仕事の内容が激変しました。結果として先様から言われる「ありがとう」の深みが変わってきたと感じています。個人保険であれば「我が家までわざわざ来てくれてありがとう」という意味合いでしょうが、会社の銀行格付けを上げ、融資条件を格段に改善し、支払利息を減らした後の社長の「ありがとう」は重みが違います。

 

銀行との金利交渉がうまくいって1.6パーセント下げることができた社長がすぐに電話してくださって「Jさんから話を聞かなかったら銀行交渉なんかしなかった。ありがとう」と言ってくださった時の「ありがとう」ほどうれしい言葉はありませんし、法人保険営業マン冥利に尽きます。

 

「どうしてもっと早くJさんに会えなかったんでしょうね」と経理の女性に言われたこともあり、このような言葉の数々が私にもっと勉強しなければと叱咤激励してくれます。学んで習得したことがすぐに企業のお役に立つのですから、これほど面白い勉強はありません。

 

 

 (つづく)


五島聡の戦略法人保険営業塾

五島聡が指導する法人保険営業マン向けセミナー・勉強会「戦略法人保険営業塾」
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プロフィール

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エフピーステージ株式会社代表取締役社長。一般社団法人日本BCP協会理事長。戦略法人保険営業塾(SHE&HSC)を主宰。

1961年愛媛県生まれ。広島経済大経済学部卒。ソニー生命保険に入社2年4カ月でエグゼクティブ・ライフプランナー(ライフプランナー3,000名のトップクラス)となる=同社最短記録。

1996~1998年度MDRTトップ・オブ・ザ・テーブル。

著書に『保険料50億円を獲得する思考術』(近代セールス社)、共著に『トップ5%の営業マンだけが知っている34の方法』(大坪勇二氏共著・サンマーク出版)、『社長最後の大仕事。借金があっても事業承継』(喜多洲山氏との共著・ダイヤモンド社)などがある。

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